道重さゆみさん大森靖子さんハロプロに関するビバラポップ!感想(1万4千字)

道重さん、大森さんの重度のファンである私にとって、ビバラポップ!は衝撃的すぎて全く文章にできる気がしなかったのですが、なんとか書きました。
全くまとまっていないので無駄に長いです。約1万4千字あります。
申し訳程度に3章に分かれています。
 
 
主に道重さゆみさん、大森靖子さん、ハロプロに関する独善的で盲目的な文章です。
それでも良いという方だけ読んで下さい。 
 

1.大森靖子さんソロステージと道重さゆみさんソロステージ

大森靖子さんのソロステージは完全に道重さんへのラブレターであると感じました。
サイレントマジョリティー」は欅坂ファンに道重さんを見ていってくれと引き止めるための次に出てくる道重さんへの間接的なラブレターだし、「死神」は男とか女とか関係なくなるくらい愛し合おうぜというラブレターだし「ハンドメイドホーム」はアイドル(道重さん)に支えられて手作りの毎日を重ねて今日をむかえたというラブレターだし「ミッドナイト清純異性交遊」もう言わずもがな曲全体がそのまま道重さんへ向けて書いたラブレターです。中央ステージでたった1人全力で愛を叫ぶ大森さんは白い照明と白い衣装と白い肌が発光していてそれはそれは美しく、大森さんが単独でこのステージに立つ日を想像せずにはいられませんでした。
 
 
 
4曲目の「ミッドナイト清純異性交遊」が始まった時、私は、まさか…早すぎる…いや、しかし、これは来る…!と思いました。
そう、道重さんが。です。
 
何度も妄想した登場シーンが現実になろうとしている。という気持ちで叫び出しそうでした。
「世界だって君にあげる」というミッドナイト清純異性交遊の歌詞の通り大森さんは道重さんにSSAという舞台をあげたのだと思い張り裂けそうな気持ちになりました。
 
そして案の定大森さんが「道重さゆみ!!!!!」と叫んだ時、もう胸が締め付けられすぎて息が詰まり叫ぶどころかメインステージを見つめて硬直してしまいました。
すると私の手に誰かの手が触れました。中央ステージ袖の階段から降りてきた大森さんでした。
私は「ぅああああああっ(ありがとうございます)」と裏返った気持ちの悪い声をあげ、大森さんは、おおおそこにいたの!という感じの「あーっ」という驚きの声の後、この登場最高でしょっという感じの笑顔でうさちゃんピースをして(たぶんしてた…ような…正気じゃなかったので幻想だったかもしれないですが…)去っていきました。
 
そして始まった「好きだな君が」。会場の空気が一気に道重さゆみさん独自の「可愛い世界」に変わるのを感じました。アイドルフェスだというのに、いい意味でロックな空気が充満するこのフェスで、道重さんが出てきたらどういう風になるのだろうと少し不安もあったのですが、全くいらない心配だったと思い知りました。
会場は大盛り上がりでした。
道重さんはフェスでもいつもの道重さんで完璧で、そのままで存在感と世界観が圧倒的に強いうえフィジカルもバキバキであるため、会場がどこでも飲まれたりしないのだと確信しました。研ぎ澄まされた「可愛い」は身体性を伴ってやはり十二分にロックでこのそうそうたる出演者の中でも、いやむしろ逆にこの中では基盤の「ひたすらに可愛い」という戦法が稀有なだけに突出していると感じました。
 
その後のMCで「フェス」が初めてであることを語った道重さん。「フェス」という発音が言い慣れていない、という感じで「ふぇす」とひらがなで言っているように感じて可愛かったです。
 
MC中に高橋愛ちゃんが登場し、大好きな「Fantasyが始まる」が始まった時、事前にビバラポップ!で聴きたいとTwitterでもつぶやいていた曲だったため、登場シーンに続いてこんなにも完璧に妄想が実現されていいのだろうかと幸せすぎて怖くなりました。 それを吹き飛ばそうと必死でオイオイ言いました。2人の眼差しから、文字通り、Fantasyが始まる、もう始まっているという、メッセージを感じてドキドキしました。
 
続く「みかん」も大好きな曲でテンションが一気にあがりました。プラチナ期のライブ映像が頭の中を駆け巡りました。一層大きくなる会場のオイオイという掛け声。広い会場でとても高いところからのライトに照らされて、当時と同じように、いやもしかしたらそれ以上に全力の全力を出す道重さん、ちぎれんばかりに腕を振り、弾けるように踊る道重さんが本当に楽しそうで大好きで何度も勇気づけられたことを思い出し目頭が熱くなりました。
 
4曲目は大森さんリクエストの「セクシーキャットの演説」曲名が告げられた瞬間会場が「おおおおおお」とどよめきました。この曲は道重さんが卒業された後のモーニング娘。の曲で、発売された当初、もし道重さんがいたら一体どんな…と妄想してしまっていた曲だったので始まった瞬間喜びが振り切れました。というか始まってからずっと曲が始まるたびに喜びが振り切れていて血管が切れそうでした。この曲はもうとにかく音がかっこよく、それだけでも会場を魅了していくのを感じましたし、加えて道重さんの猫のポーズの似合い具合がえげつなく、花道を闊歩する時には会場を制圧するような自信に溢れた顔をされていて、その凛々しさに道重さんのスケールの大きさを感じました。
みかんでの弾けるような気合のパフォーマンスから、セクシーキャットで高飛車な表現をすることで、SAYUMINGLANDOLLで見るようなパフォーマンスを自由に楽しむ道重さんへモードが切り替わったように見えました。「本気で挑めば勝てるのよ」という歌詞では、まさに今言葉通りのことを道重さんは行っていると思い、この言葉がこんなに似合う人がいるだろうかと思いました。
 
その後道重さんは一旦はけ、高橋さんが1人で「Sexy boy~そよ風によりそって~」を歌い上げ、衣装を変えた道重さんが登場し、MCを挟んで高橋さんが退場し、再び道重さんのソロになりました。
直前のMCで「愛ちゃんに最後までずっといて欲しい」と心細げに言っていたのもどこ吹く風で、「キラキラは1日にして成らず!」のイントロが始まった瞬間もう最強道重さゆみの顔でした。ギャップの凄さにプロ意識を感じました。SAYUMINGLANDOLLで静止して見ていたこの曲の振りコピができるのが楽しくて全力で1日じゃ成んねえ!とサイリウムを振りました。
 
その後のMCでSAYUMINLANDOLL大阪公演の宣伝を笑いを交えながらした後の、「ありえない遊園地」。
この曲は振り付けがすごく可愛いのでハンドマイクなのが少し残念でしたが、セクシーキャットと同様花道を歩く道重さんの風格に魅了されました。中央ステージで響く「ただの現実の方がマシ」という台詞パートがかっこよかったです。
 
次の「シャバダバドゥ~」はもうさすがの安心感で指先まで神経を行き渡らせて踊る道重さんは本当に可愛すぎてかっこよく、ほら大森さんの言う通り、道重さんの可愛いはかっこいいよりかっこいいでしょ?とSSA全体に自慢したいような気持ちになりました。
 
そしてここで「ミッドナイト清純異性交遊」の最後に歌われている曲、という曲紹介が入りました。ここでもそうですが、要所要所のMCで作曲、リクエスト、など大森さんとの関わりを丁寧に紹介する道重さんの姿勢に大森さんへの敬意をとても感じました。それと同時に毎回これは現実?と頭が混乱して視界がかすんで耳が遠くなりました。
 
道重さんの「最後の曲」という言葉に対し会場から「えええ~」と残念がる声があがった後、とうとう「ラララのピピピ」が始まりました。
「ラララのピピピ」はもう何度も見ているのにいつもグッと込み上げてくるものがあります。SAYUMINGLANDOLLでも毎回そうで、この日もやはりグッと涙が滲みました。何度も見ているからこそ、逆に聴くたびに重ねてきた「ラララのピピピ」にまつわる全ての記憶が押し寄せてきて感極まるのかもしれません。
しかもサビが「ラララのピピピ」という空白しかないような歌詞、というか謎の擬音、であるため勝手に聞き手が思いや想像力をそこに詰め込めるというのもあると思います。良い作品は受け手に想像をさせるだけの余白があると言いますがまさにそういう構成にこの曲はなっています。
そんな斬新なサビを創られたつんく♂さんはやはり天才で、そんな斬新な曲が代表曲となっている道重さんもやはり最高だと思いました。
 
さらに、ここでひとつ重要なのが道重さんのソロステージの最後が「ミッドナイト清純異性交遊」の最後の歌詞に登場する「ラララのピピピ」で終わったということです。
こうすることにより、冒頭の大森さんの「ミッドナイト清純異性交遊」という曲の中に道重さんのソロステージが内包され、まるで道重さんのソロステージが大森さんのワンルームファンタジーに降臨した奇跡かのように位置づけられ、2人のソロステージがひとつの作品としてパッケージされたからです。
通常「ミッドナイト清純異性交遊」の最後ではララララのピピピ3回を2セット繰り返すのですが、確か大森さんは冒頭で1セットしか歌っていませんでした。
 
①ラララのピピピ ラララのピピピ ラララのピピピ ララララ 
②ラララのピピピ ラララのピピピ ラララのピピピ ララララ
 
の①まででした。①と②の間に道重さんが降臨し、0.5秒(仮)の間にステージを夢のように繰り広げ、②のラララのピピピを歌って去っていった、という構成になっている、と私は勝手に解釈しました。
物語的に強いリアリティ・ショーのようなステージであるというだけでなく構成までその物語に沿って練りに練られた完成度の高い作品だと感じ感激しました。はあ天才。
 
また、全体を通して道重さんのパフォーマンスは広いはずのSSAも全く広く感じさせない会場の隅々まで神経が行き渡ったサービス精神の塊のようなキレキレのパフォーマンスで、道重さんは広い会場が本当に似合うな、コットンクラブも贅沢で大好きだけれど、こういう会場でももっと道重さんを見たいなと心底思いました。そういう未来があるかもしれないと感じさせてくれる期待感溢れるステージであり、道重さんの今後が一層楽しみになりました。
 
 

2.コラボステージとマジックミラー

個人的な話ですが、私は道重さんとマジックミラーに関して、ただならぬ思い入れがあります。

2017年の3月頃、道重さんが大森さんの曲の中で「マジックミラー」が好きとおっしゃっていたと大森さんから聞いた時、ものすごい衝撃を受けました。考えれば考えるほどすごいことではないだろうか。と。興奮のあまり長文のメールを大森さんに送りつけてしまったことを覚えています。このことはずっと「道重さんマジックミラー好き事件」として私の中に刻まれていました。


何がそんなにも衝撃的だったかというと、まず、「マジックミラー」という曲自体がすごい曲ということがあります。
「あたしの有名は君の孤独のためにだけ光るよ」という歌詞に象徴されるように、「マジックミラー」という曲はメジャーデビューをした後の大森さんの今後の歌手活動の指針を凝縮したマニフェストのような曲です。その宣言内容は「ファン一人一人の人生を一つ一つかき集めて大きな鏡で反射して返します。それが私の使命です。」というもので、人前に出て活動する人間でそんな俯瞰した視点で自分の活動を明確に定義づけし宣言した人がいただろうかという新鮮さと、ファンに対する巨大で強大な受容と愛の精神と音楽の力に対する信頼に溢れたものでした。
 
その曲に、元アイドルであり、現在も人前に出て活動をされている道重さゆみさんが共感したのだとしたら、道重さんは、私が考えていたよりもご自身の活動をずっとずっと俯瞰した視点で高解像度で自覚されている途方もない大きな愛を持った人だ、ということになるのではないかと想像し、ゾクゾクしました。
 
それまでも道重さんの活動への覚悟やファンの方への愛には何度も心動かされてきてはいたのですが、道重さんがモーニング娘。のリーダーになる以前からのファンとしては、道重さんに覚悟や愛を期待して応援するというのは違う気がするし、愛や覚悟を負ったりして負担に感じてしまうより、せっかくソロなのだから背負わず、楽しく活動してくれたらそれが1番嬉しいな、と思い、あまり深く考えず、道重さんが魅せてくださる輝きや楽しさを無邪気に享受し応援させていただこう、と考えていました。道重さんが、そのような真剣さを(要所では見せてくださいますが)普段はあまり感じさせないようにしている方なので、ファンとしてもそうありたい、というのもありました。
と言っても、「道重さんマジックミラー好き事件」の時点ですでにSAYUMINGLANDOLL~再生~の公演を観ていたので、そこから道重さゆみソロ活動への覚悟は感じていたのですが、それはあくまでも公的な、ご本人も含めそこに関わる方達で創り上げた「道重さゆみ」像であり、道重さん個人とは限りなく近いけれど別のものとして考えていたのです。
 
しかし、もし道重さん個人として、この歌詞に共感するのだとしたら、だとしたら、どういうことなのだろう、生半可な気持ちでは共感できないのではないか、と思い勝手に混乱しました。
道重さんに大きな愛と覚悟がありそれを高解像度で自覚しているとしても、ファンとして楽しみ方は変わらないのですが、ドキドキしました。
 
それは「あたしの有名は君の孤独のためにだけ光るよ」と道重さんに言って欲しいそう思ってくれたら救われる、という期待のドキドキではなく、そんな大きな愛と覚悟のある人だとしたら今後、道重さゆみという人の可能性はどこまで広がるのだろうという、全貌が見えない未知なるものへの興奮でした。
大森さんのマジックミラーを聴く時も、孤独のためにだけ光るよと言ってもらって救われて泣くというより、その強大な力と覚悟に感動して、大きくて凄いものを観た!という衝撃で泣くので、道重さんバージョンでの、強大な愛と覚悟が放出された時の景色はどのようなものなのだろうと、期待が膨らみました。
また、大森さんにとってマジックミラーになりうる人がいるとしたらそれは道重さんをおいて他にいないのではないかという希望でもありました。
 
さらに「ミッドナイト清純異性交遊」と違い「マジックミラー」は大森さんとしては道重さんに向けて書いたものではないはずです。自分の大好きな大森さんがストレートに自分の中心にある大事な思想をファンにむけて書いたかけがえのない大切な曲が、同じく大好きな人である道重さんに届いたという奇跡的な事実が、もうこれは何か必然のめぐり合わせなのではないかと、1番根本的なそこで通じ合うのか、と、あまり運命とか言いたくないタイプなのですが、思わざるをえませんでした。
 
以上が私が道重さんとマジックミラーにただならぬ思い入れを持っていた経緯です。
そんな胸中でビバラポップ!コラボステージでの大森さんと道重さんお2人での「マジックミラー」を観たというわけです。
 
コラボステージ1曲目は「I&YOU&I&YOU&I」で、この曲も「マジックミラー」のコンセプトを具体化しエピソード化したような内容で、私とあなたと私とあなたと私、というタイトルにもあるように存在を反射し確かめあいたい、という愛に溢れた曲です。大森さんと道重さんは曲名の通り、向かい合って敬愛を反射し、存在を肯定しあうように歌っていました。近年大森さんはステージに立つものとして孤独だということをステージ上で時々おっしゃっていたのですが、今日だけは孤独ではないのではないか、数々の好きなアイドルに加え、今は目の前に道重さんがいるのだから、という気がして、その光景だけでも私の涙腺はすでに決壊していたのですが、そんな2人の温かい世界からの、90度身体の方向を変えての、客席へ放出された「マジックミラー」
 
圧巻でした。
 
何よりも驚いたのが道重さんの感情です。
いつもステージ上で見せてくださる澄み切った抑制のきいた強い意志の奥に大森さんとバンドの音に煽られたためか、生身の感情の震えが表出してきていました。
元々の「道重さゆみ」という様式がしっかりあるのでそれが乱れる時の説得力がすさまじかったです。
あの道重さんは間違いなく周囲の環境に呼応した「マジックミラー」でした。
それも、大森さんとは全く別の。
 
まず「絶対安全ドラッグこの歌あたしのことうたっている気持ちいいEEEあーん」という歌詞。
あーんが完全にモーニング娘。時代吐息担当だった道重さんの「あーん」と同じでなるほどそうなるのか、と驚きました。「あーん」じゃなくて「Ah」でした。ため息ではなく吐息でした。陶酔でした。
 
「どうして女の子がロックをしてはいけないの?」は「いけないのぅ↑?」となっていて
大森さんの実体験に基づいた心の叫びが「無邪気な少女がたまにする芯を突いた質問」のようになっていてこれもまた衝撃でした。
 
「モテたいモテたい女子力ピンクとゆめゆめかわいいピンク色がどうして一緒じゃないのよあーあ」
もあーやんなっちゃうなーでもいっかー楽しいしなーと続きそうなほど伸び伸びとしていてヒリヒリとした歌詞がビターチョコのような苦くも甘い痛みに感じられました。
 
このように、道重さんの歌は、基本的に一度1人の感情世界で自足していて、自足して得た快感を発射台にして、ネガティブさもポジティブさも絶妙なバランス感覚とエンタメ力でキラキラと全方位に放射してくる万華鏡のようなのだと大森さんとの対比で気がつきました。
しかしサビの「あたしのゆめは君が蹴散らしたブサイクでボロボロのLIFEを掻き集めて大きな鏡をつくること」というフレーズを経て、その自足からのエンタメ放射という図式が一変しました。綺麗な万華鏡の表面に生身の感情によってヒビが入ったのです。
その後の道重さんのソロパート「いままでのこと全部消すから幸せになってやくそくよ」では、いつもは大森さんの「全部消すから」という発想のすごさと覚悟の方を強く感じ、「消してくれる」「約束してくれる」と受容される側の気持ちになるのですが、道重さんの歌い方では、道重さん自身も自分に言い聞かすように歌われていて、可愛く爽やかな約束を互いに交換する双方向のコミュニケーションという面を強く感じ、この約束を交わした時点ですでに幸せはここにあり、そしてこれからもずっと幸せなのだ、という錯覚を覚えました。
 
最後の「マジックミラー!」の叫びも鮮烈で、あんな道重さんの声を私は初めて聴きました。もちろん今までも道重さんの歌が感情に訴えかけてくることは多々あったのですが、今回はあまりにも明確で、ある一定のしきい値を見事なまでに超えていました。もし今後この力がもっと強まって万華鏡を自由に割ったり閉じたりできるようになったらどうなるのかと思い、未知の魅力の可能性に喜びで胸がはちきれそうになりました。
 
一連の「マジックミラー」への道重さんのアプローチを観て、大森さんと道重さんでは元々はリアリティへのアプローチの方向が違うということに思い至りました。
大森さんがリアルな生身の人間の生活をいかに美しく魅力的に強く表現するか、というアプローチなのに対して道重さんはまず強固なアイドルコーティングがあり、その上で表現にいかにリアリティと説得力をもたせるか、というアプローチをしているような気がしたのです。つまり以下のような図になります。
 
大森さん:リアリティ→ファンタジー
道重さん:リアリティ←ファンタジー
 
ベクトルが逆なのです。なので互いに共有できる歌詞や世界を持ちながらも、こんなにも違いが出るのだと思いました。どちらが良いとか悪いとかではもちろんありません。どちらの手法だとしても素晴らしいものは素晴らしいです。手法が違うというだけの話です。
その手法の違いにはこのフェス全体で感じたハロプロの特異性とも共通点があるように思います。
これは長くなるので最後に追記します。
 
そんな風に、大森さんと道重さん、2人は近接しながらもちゃんと別世界で別次元のマジックミラーでした。本来1つあるだけでも稀有な、環境を反射するマジックミラーが2つ出現し出会って物理的に接近したために間に発生した摩擦係数がすさまじく、これぞ化学反応という感じがしました。
あんなに大森さんによる大森さんのための曲である「マジックミラー」を完全に自分の歌のように違う世界観で歌い上げていて、横で歌う大森さんに引けを取らない道重さん、信じられませんでした。コラボ、というか私としては皆既日食のように感じました。月と太陽ではなく、太陽と太陽の。その熱量に身も心も跡形もなく蒸発しました。
 
しかも、私事ですが、バンドをバックに歌う道重さんは、道重さんを好きになった時に、1番最初に描いた道重さんの絵の具現化でした。
当時私は私生活で色々あり、絵を描くことが恐ろしくなっていたのですが、道重さんの可愛さとパンクさに心を奪われ、いてもたってもいられず、ギターを抱えスタンドマイクにロリータ姿で熱唱する道重さんをデジタルで初めて描きました。結果は大変下手くそで全く道重さんの可愛さを表現できず、その後もずっとデジタルで道重さんを描き続けることになるのですがそれはまた別の話なのでおいておきます。
 
この絵の3年後、大森さんの「道重さんはロック」という発言への共感と、その出で立ちに妄想の中のパンクアイドル道重さんの幻影を見て脳を貫かれたことで、その絵の伏線は回収され報われたと思っていました。
 
なのにそのさらに4年後、あろうことか道重さんご本人によるバンド編成が見られるなんて、という妄想を超えすぎた現実に頭がショートしっぱなしでした。
大森さんと道重さんというコラボだけでも感情がぐちゃぐちゃなのに当時の妄想の幻影まで登場し、しかも曲はマジックミラーでもうなんかただ馬鹿みたいに嗚咽するしかありませんでした。
 
バンドをバックに見たことがないほど熱唱する道重さんは本当に格好良く、そういえば可愛い見た目でオラついている道重さんが大好きで「HOW DO YOU LIKE JAPAN?」の道重さんのパートを繰り返し見て聴いていたな、というのを思い出したり、道重さんの休業中、ミッドナイト清純異性交遊を聴きながら夜道を徘徊したことを思い出したり、走馬灯のように今までの道重さん、大森さんそれぞれを好きだった自分の個人的な風景が押し寄せてきて自分の感情が制御不能になり、全ての伏線がDNAの螺旋のように編み上がってビバラポップ!のステージに集約されていく思いがしました。あらためて大森さんの音楽が、道重さんの歌が肉声が本当に大好きだと思いました。
 
コラボ中の大森さんを見つめる道重さんの目が嘘みたいに優しくて、見られていることに最初は気がつかずやっと道重さんの方を向いた大森さんは子供みたいで可愛いくて、大森さんはすごく真剣で泣きそうな顔だったのにそれを少し茶化して元気づけるような温かい笑顔で大森さんを見る道重さんの対比が、二人の違いの象徴みたいで素敵でした。
大森さんの求めていた自分以外のマジックミラーたり得る道重さんと見つめ合いマジックミラーを熱唱する大森さんを見て、これで大森さんが救いを感じていたらいいなと思いました。現時点で大森さんに「君の孤独のためにだけ光るよ」と言ってあげられるのは道重さん以外にいないと私は思うので、本当にそうだったらいいなと、少なくともあの瞬間はそうだったのではないかと願いました。
 
マジックミラーの後、最後道重さんに両手を広げられて、一瞬躊躇したあと遠慮がちに道重さんと抱擁を交わした大森さんはどこまでも律儀で可愛いオタクの鑑のような人だと感じいじらしくなりました。
 
最後のみんなで歌った「ミッドナイト清純異性交遊」という曲では、この曲を聴く度、大森さんが歌うのを観る度、道重さんの幻影を思い浮かべていたので、大森さんの隣にいる道重さんが、生身なのに生身じゃないような、もしかしたらよくできたホログラムなんじゃないだろうかと感じて、ビビビってノイズが入ってプツッて消えても不思議じゃないななんて思いながら、でもずっと消えないし踊ってるし大森さんをケチャしてるし、本当にいるんだと、その空間の中に自分もいるんだと、それがどういうことなのか、そこにいる、ここにいる、現実としてある、そのシンプルな事実が捉えきれなくて、ただずっと泣いていました。生まれたてのような気持ちでした。
特に「君だけがアイドル」の歌詞で大森さんに見つめられて、両手をぱっと上にあげてポーズをとった道重さんは、その瞬間、あらためて歌詞という抽象概念が具現化して現実世界に降臨したかのように見え、こんなことがあっていいのかと戦慄しました。
ミッドナイト清純異性交遊の最後の「ラララのピピピ」という歌詞を大森さんと道重さんが見つめ合いながら歌うのを見て何もかもが浄化されていくような気がしました。
 
捉えきれない現実を目の前にすると、人はただ無防備になり、生まれたてのような目で心でそれを見るしかなくなります。そういう全てを吹き飛ばすような瞬間が人には必要で、だから芸術や大自然や非日常を求めるのだなと痛感しました。
混乱するだろうとは思っていましたが、予想以上に理解を超えた現実がビバラポップ!には沢山ありました。
 
こんな風にいつも道重さんは事前の予想と全く別の形で現れます。私はいつも完璧と思う妄想を事前にするのですが、結果的に全然違うものを体験することになります。卒業公演然りSAYUMINGLANDOLL~再生~、~宿命~然りビバラポップ!然りでした。でもその違う現実が、いつもこんなこと予想できるはずがない、というもので、完璧な妄想より圧倒的に面白くてそのたびに敬服し、好きになります。
 
事前に思い描く景色は、無駄なものがない甘いふわふわした綿菓子のようで、綺麗だけど既成品の枠を越えないものなのに対し、現実はもっと力強くて野性的で暴力的で多層的です。飼い犬と野良犬のような違いがあります。
 
非現実的な現実は、絵画のよう、というには立体物も構図も光も鑑賞環境もノイズが多すぎて下手をすれば汚いと言える、なのに美しい。そういう綺麗なだけじゃないノイズを含んだ現実を描きたくて感情的に即興的にドローイングを毎日描いているのかもしれません。
 
正直、始まる前は私の中の何かが終わってしまって何かが失われてしまうんじゃないかという不安があったのですが、終わってみると得るものしかありませんでした。何を得たのか具体的に言葉にすることは今は難しいですが、行動するための指針のようなものであることは確かです。
 

3.ハロプロの特異性とメタ系アイドルとビバラポップ!の意義

最後に、前述した「このフェスを通して感じたハロプロの特異性」とそれに絡めて「ビバラポップ!の素晴らしさ」について述べて、この長くなりすぎた感想を終わりたいと思います。
 
このフェスを見ながら、ハロプロはやはりどこか浮いていてハロプロはどこに出してもハロプロなんだと感じました。私の中ではハロプロもメタ系アイドルに含まれるため、近年の他のメタ系アイドルの中にあっても違和感はないのではと思っていたのですが、やはりどうしても別物であるという感覚がぬぐえず、それは何故なのだろうとずっと考えていたのですが、その感覚がこのフェスを見たことでより強まりました。そしてその理由はハロプロの基盤にある「独特なアイドルコーティング」にあるのではないかと考えました。
ここで私の言うメタ系アイドルとは、従来の王道アイドルの定義を覆すようなメタ的な視点をもったアイドルという意味です。
 
前述したように私にとってはハロプロもメタ系アイドルなので、ここ数年ハロプロを王道アイドルだという人を散見し、その理由が私にはわからなかったのですが、それは「独特なアイドルコーティング」、具体的に言うと、様式化された歌唱法と少しおかしみのある二次元のような熱い歌詞世界が、強いコーティング剤として機能し、俗世から切り離されているような感覚を生みだしており、この「俗世との隔絶感」が王道という言葉を引き出してしまうのはという説に至りました。
 
加えて、先に述べた大森さんと道重さんとの違いのように、あまり詳しくないので恐縮ですが、近年のメタ系アイドルは等身大のリアリティをアイドルという土俵に蹴り上げていると感じるのに対し、ハロプロはこの「独特なアイドルコーティング」がまず先にあり、そこからいかに説得力をもたせるか、というやり方をしているため、より他との違いが強調される結果になっているのではないかと思うのです。AKB系はまた全く別の手法であるためここでは割愛します。
 
しかし元々はこの「独特なアイドルコーティング」はつんく♂さんが創り上げた、私見ですが、「アイドル解体」のための様式だったはずです。
モーニング娘。は当初、アイドルっぽさを表面的には利用しながらもそれを逸脱するような変な振り付けや変な歌詞を歌う、アイドルをデフォルメし戯画化したメタ的な、従来のアイドルへの問題提起を含んだカウンターアイドルでした。ロックボーカリストオーディションに落選したメンバーで構成されたモーニング娘。はロックミュージシャンのつんく♂さんが創られたというのもあり、王道アイドルでは全然ありませんでした。美術用語でいうと、モーニング娘。はアイドルを解体し、再構築した、「脱構築」アイドルでした。
しかしアイドルブームを経てより斬新でメタ的なアイドルが増えるにつれ、いつの間にかデフォルメの基盤であったはずの独特なアイドルコーティングの、独特さが薄まり、逆にアイドルコーティングの方が際立ち、それがそのまま王道っぽさとなり、ハロプロを王道アイドルと言う人が増えたのだと腑に落ちました。
 
道重さんはそのアイドルをデフォルメしたハロプロの中にあって、よりデフォルメの強い「私可愛い」キャラを自ら創り上げた、さらに逸脱した存在です。ご本人は全くそんなデフォルメのつもりもないかと思うので失礼にあたるかもしれませんが、アイドルを脱構築したハロプロを、再度アイドルらしさとは何かという方向へ脱構築し問い直すような、道重さんの先鋭化されすぎた「可愛い」を貫くスタイルには、私個人としてはモーニング娘。創生期から連綿と受け継がれてきたロック魂、ひいてはパンク魂を感じずにはいられません。
 
このような視点から観るとビバラポップ!は新旧メタ系アイドル(ロック魂を持ったアイドル)が大森靖子さんとピエール中野さんというロックミュージシャンを通し、新旧とは言いましたが全員「今」を担う存在として一同に介した、というかなり異色の、しかし大きな流れで見ると必然的で意義のある祭りであったと言えるのではないでしょうか。現場風俗資料、と大森さん自身がおっしゃっていたのもうなずけます。もしかしたら通常のロックよりも「アイドルとは何か」と正面から問題提起しているという点で反骨精神が強いフェスが VIVA LA ROCK というロックフェスの最終日に VIVA LA POP というアイドルフェスとして行われた、その構図だけでも強い批評性を感じますし、大変面白い試みであることがわかります。
 このフェスによって、アイドルがロックを問い直し、ロックがアイドルを問い直す、というような相互作用が活性化しより面白い音楽が生まれることになったら、と考えるとわくわくします。
 
さらに面白い点はこのフェスが主に大森靖子さんの超個人的思い入れによって全体を構成された大規模フェスであるという点です。それはこのフェスの最後に歌われたテーマソングのようなこの曲のこの歌詞に象徴されています。
 
”アンダーグラウンドから 君の指まで 遠くはないのさ
iPhoneのあかりをのこしてワンルームファンタジー
黒髪少女で妄想通りさ 君だけがアイドル”
 
(大森靖子/ミッドナイト清純異性交遊より)
 
つまりビバラポップ!はアンダーグラウンドから頂上まで、さらには90年代後半から現在まで時空をも貫く巨大なワンルームファンタジーをSSA規模にまで高め現出させたという、アイドルをモチーフとしたシュヴァルの理想宮のような作品であったのだと私は感じました。
しかしもちろんシュヴァルの理想宮とは違い、大森さん1人の力で実現したわけではありません。多くの方々の多大な尽力があってのフェスであったことは誰の目にも明らかです。
しかし内容として非常に個人的な夢のような景色を年月をかけて途方もない規模で実現した手作りの作品という意味では近いものがあります。個人の信念を貫いて貫いて貫き通すと普遍的で大きなものにたどり着く、そんな創り手としては希望でしかないような景色を鮮やかに見せていただいたような思いでした。
また、そのような大きな景色に到達するには、自分のスタイルを徹底的に提示し問題提起をし続ける必要があり、身をもって問題提起をするという姿勢こそ1番魅力的でスリリングなことなのだということもこのフェスで思い出すことができました。

これ以上ないほど刺激的で貴重な景色を見せてくださり、大森靖子さん、ピエール中野さん、鹿野淳さん、道重さゆみさん、そしてあの場所に関わった全ての方々に、ありがとうございますと心の底から感謝の意を述べたいです。
生きて存在してあの場にいてあの場所を創り出してくださり本当に本当にありがとうございました。
 
道重さんと大森さんを大好きになって本当によかったです。