ファン

大森さんに実際にライブで対面する前は、私だけの大森さんがいて、大森さんと1番共鳴できるのは自分に違いない、という謎の確信がありました。恐ろしいですね。
そういう妄想に1番も2番もないし、少し考えれば破綻していることに気がつきそうですが、全く疑っていませんでした。本当に恐ろしい。

当然、ライブに行ってみたら全然そんなことはなくて、
私よりずっとお金を使って現場に通ってプレゼントをしてTwitterにコメントをして大森さんのために言葉を綴って絵を描いて物を創って…という特別な人たちが沢山いるということに気がつきました。
それぞれがそれぞれに特別だと感じていてそのそれぞれの特別を大森さんに注ぎ込んで、ライブで歌声を聴いて、その人だけの涙を流しているんだと気がつきました。

私は今まで芸能人とファンという関係をわりとひねくれた目でもっと距離のあるものとして見ていました。
しかし間近で見て、感じてみるとそれが全くの思い込みであったと気付かされました。
実際はひとつも割り切ることのできない、膨大な数の唯一無二の事件や関わりの果てに立ち上がる濃密な物語が渦巻いていました。

とするとやはり、
私もまた、大森さんへの個人的な特別を抱えた、
ただの1人のファンでした。

私は死ぬほど大森さんを大好きだという不動の自信はあるのですが、あの人ほどはお金を使えないし、全部の現場には通えないし、私は大森さんファンとすら正面切って名乗れない気がしてきました。

ファンってなんなのでしょう。

初めてライブに行った時
大森さんにマネージャーさんがいることに驚きました。
物販があることも、何よりチェキ会なるものがあることに驚きました。
よく考えたらミュージシャンだし芸能人だし驚くことではないのですが
私は大森さんをミュージシャンや芸能人だと思ってなかったようです。
そのようには定義していなかったのです。

何か「大森靖子と呼ばれている人間の生命力に触れたい」
「触れるべきだし最終的には触れられるはずだ」
という気持ち悪い気持ちでライブ会場に行った気がします。
定義された世界とは別の階層で出会って魅了され、大森さんに呼ばれたと思っていたのです。

これは自分史上最上級にスピリチュアルで気持ち悪い思い込みだなと思いながらも、私はそれを信じることにしたのでした。
そういう、他にも沢山いる、それぞれの唯一無二の特別をかかえたファンの1人として。