私から見た「超移動式楽園キチガイア」ができるまで

この話は大森さんというより靖子ちゃんというほうが正しいような気がするので靖子ちゃんと呼ばせて下さい。

私はただただ靖子ちゃんの神になりたいという発言にワクワクしてドキドキして突き動かされただけでした。

私は中高とキリスト教の学校であり母親がキリスト教を信じる人だったため神という概念や十字架モチーフに対して過敏に生きてきました。中高時代は宗教というシステム自体に馴染むことができず宗教なんて思考停止じゃないかと思春期の浅い頭で思っていました。

しかし靖子ちゃんの「神になりたい」という発言には何の抵抗も感じませんでした。理由は靖子ちゃんの起こす「救い」のシステムは思考停止などではなく「ドグマ・マグマ」の歌詞にもあるように、むしろ「考えろ感じろ」という宗教だからだと「ドグマ・マグマ」ができる前、かなり最初の頃に考えました。
思考し、全員自分の宗教を創造しろ、という宗教になるに違いない、ならば私はその発言に全力で乗りたいと思いました。
大変デリケートな神・救済というキーワードをあえて使うほどの覚悟が靖子ちゃんにはあり、そうとしか名付けるしかないことをやろうとしていると感じました。
いつもそうです。下手なのに表現するのはダサいとか意味ないとか神なんていないとか救いなんてきれいごとだとか、合理主義の中でスポイルされ行儀よくされてきたことを全力で堂々と宣言してひっくり返すのが靖子ちゃんのやり方でした。神という概念もその手段のひとつなのだと私は思いました。

靖子ちゃんの言う神とは何なのか話し合いをするうちに神という人工システムだったコンセプトがいつしか靖子ちゃんの中で地球にまで拡張され、それに対し祖父江さんが地球意志という言葉をおっしゃって、私はとても興奮しました。あのヴィジョンを描く時がきたのだと思いました。

出会った時からずっと、ステージ上の圧倒的な生命力を放つスピード感のある靖子ちゃんを思い切り表現してみたいと思っていました。その欲望にキチガイアという生命力2000%の言葉が乗った時、あの3枚の絵ができました。
靖子ちゃんに出会う前までは漠然と形のない生命力の衝動のようなものを存分に感じられるような絵が描きたいとは思ってはいたものの、そんなものを描いて何になるだろうかと、技法的にも内容的にも新しくないし、意味がないのではないか、とそのヴィジョンを信じられず躊躇していました。それを信じさせてくれて最後のピースになってくれたのが靖子ちゃんでした。

特にドグマ版は弾き語りの靖子ちゃん+心の黒い穴のイメージであり、私が描きたいと思ったヴィジョンの最もシンプルな核となるものだったのでそれがZepp Diver Cityで中心にきていた時なんでわかってしまうんだろうと感動しました。
同じようなことは他にもあり、アルバムのジャケット撮影の時には、絵の前で演奏したり音源を流したりしながら撮影したのですが、何も説明していないのにドグマ版の絵の前で靖子ちゃんがおもむろにオリオン座を弾き語り始め、そのあまりの自然さに戦慄しました。今でも忘れられません。

そのような過程を経てできたアルバムキチガイアから生まれたライブはさらに進化し超移動式楽園キチガイアになっていました。キチガイアの住人となった新🌏zが奏でる群像劇は参加したお客さん1人1人も登場人物として追加され、拡張され、1人も同じじゃない全員違うキャラの立った、しかし膨大な数の増幅する群像劇になっていました。それは私には否定と肯定を行き来してもがく力強い光の物語に見えました。

普段は否定と肯定の狭間のどちらかというと否定寄りにいるのに、靖子ちゃんを前にすると自分を肯定するしかなくなります。理由は言うまでもなく、靖子ちゃんがいつもライブ中と後にお客さん1人1人を全力で肯定しようとしてくれるからです。
私は自分で自分を肯定なんてする気も起きなかったし必要ないとすら思っていました。
でも靖子ちゃんの肯定は肯定という単純な言葉ではなく、人生をわけてくれるということでした。人生をわけることを諦めないということでした。わけてくれるものをなんとか少しでも返したい、そう思うことが勝手に自己肯定につながってくるというのは今でも不思議な体験です。とはいえ私は未だに自分を100%肯定しきれていませんが、靖子ちゃんを思う気持ちは肯定できるし、全力でわけられた人生を全力で反射して、もう一回誰かにそれを反射し返された時もうこれは肯定するしかないじゃないか奇跡みたいじゃないかって思っています。

そうやってみてあらためて感じたことは、諦めることができない好きな人も好きなものも嫌なことも面白いこともくだらないことも絶望も希望も嫉妬も劣情も自己嫌悪も全部この地球に乗っていて切り離せないくらい繋がってうごめいて存在するということです。そう考えると自分はもちろん、地球すら肯定せざるを得なくなります。

このような個人的なささやかな挫折やささやかな幸せが地球規模にジャンプアップする世界観はつんく♂さんの世界観にも共通するものです。そのことをすぐ挫ける物分りの悪い私に音楽を通じて懇切丁寧に何度も何度も具体的に強烈に感情で突き刺して教えてくれる人が靖子ちゃんでした。

否定しそうな個人的な小さな衝動を地球規模に拡張する方法を教えてくださって本当にありがとうございます。それでもなお、まだまだ進化する余地があると教えてくださって本当にありがとうございます。
また、この感謝の気持ちは靖子ちゃんを通して関わった全ての人に対して感じている気持ちです。

ありがとうございます。
そしてこれからもよろしくお願いいたします。