道重さゆみさんのジンクスの話について

道重さゆみさんのジンクスの話について。

道重さんがSAYUMINGLANDOLLのMCでおっしゃっていたのですが、道重さんは事あるごとにジンクスを設定していて自分でこれができたら再生公演成功するとかしないとか自分で勝手にルールを決め、日々それを試していたそうです。なのでそのストレスが常時ものすごくあったそうです。

「だからみなさん、さゆみに生まれ変わったらすごく生きづらいと思いますよ」
というかわいくもリアリティのある発言からもその苦労が伺えます。

一方で私はジンクスを創るのはとても創造的なことだと思います。無記名な出来事や事象や行動に名前や意味をつけ、それを信じ、実行する行為だからです。そのような強迫神経的な「こだわり」が今の道重さんを創ってきたのではないか、と私は思います。

意味のないところに意味を作るのは、大森靖子さんの言う、ない才能を信じる才能、だと思います。
道重さんでおなじみの鏡の前で「よし!今日も可愛いぞ!」と毎日言う、というのも唯一無二な自己を創る儀式の1つです。

「自分は唯一無二ではないかもしれない。でも才能もしくはかわいさがある。そう自分で決める。私は唯一無二だと自分で決める。だから大丈夫と確信し、それに相応しい行動をする。」という覚悟です。

道重さんがオーディションで歌い、今も大事にしている「赤いフリージア」にある「信じることにするわ」という歌詞の考え方も全く同じです。事実はどうあれ、「信じることにする」のです。自分の価値を、相手の価値を、自分の運命を、自分で信じ、創るのです。

嘲笑主義が通奏低音としてある時代、油断すると自分の存在など代替可能で無意味であるというモダニスト的な考えに陥りがちです。その観点を持っている方が「賢い」「優れいている」と思われる時代です。しかしそのニヒリズムを乗り越え、没入を肯定し、それを信条として、自ら意味を自作、捏造するというやり方を用いる。それによって大森さんも道重さんも虚無主義・合理主義を越えていっています。つまり、ニヒリズム(虚無主義)に陥ってしまう自己(メタ的視点)を自覚しながら没入(非虚無主義)を再肯定するという体力と精神力を両者共持っているのです。

それは「真実なんてどうでもいい、私の価値は私が創る。」という混じりけのない意志です。

そうやってまずは自分に意味を与え、意味のある自分が起こす出来事に意味を与え、その現場に出会った人にもさらに意味を与えられる、というように、道重さんと大森さんは、人生を通じて周囲に広く意味の連鎖を起こし拡張し続けています。

道重さんも好きだとおっしゃった大森さんの曲「マジックミラー」の歌詞にある、
「あたしの有名は君の孤独のために光るよ」
という歌詞は孤独を抱え、自分の存在価値に疑問を持ちながらも自己を表現せずにいられなかった自分は、同じ孤独を持った君と通じるためにいるのだ、という逆説的な自己肯定の歌詞だと思うのです。

つまり、これは行き場を失いやみくもに自己表現してしまうわたしと通じるあなたは意味のあるわたしとなにかしら共通点があり、だからもれなく価値があるのだ、と自分を発端とした自分の周囲を肯定し救済する歌詞なのです。

その構図こそが表現者や芸術家のひとつの役割であり、それをかなりのレベルで自覚しているということが大森さんや道重さんの特異性、ではないでしょうか。

そして今、道重さんは自ら創り上げてきたジンクスをあえて崩すことで解放されつつある、というのをSAYUMINGLANDOLLのMCでおっしゃっていたのがさらに興味深いです。道重さんは自らに課した意味すら操作し、コントロールする段階にきている。オルターエゴ従え!段階だということです。

敬服とともに楽しみしかありません。そんな道重さんの7月公演行くしないです…!
http://www.up-fc.jp/m-line/news_Info.php?id=10399

また、信じるということや先入観というものについてこんなにも考えさせてくれる道重さゆみさんと大森靖子さんについて私たちはもっと考えるべきだし知るべきだと、思いました…。