道重さゆみ「SAYUMINGLANDOLL~再生~」は確かに「コンサート」でも「ミュージカル」でも「ディナーショー」でもなかった話

「SAYUMINGLANDOLL~再生~」は確かに『コンサート』でも『ミュージカル』でも『ディナーショー』でもありませんでした。あれは、人生歌劇でした。

どういうことかなるべくネタバレしないよう、抽象的にお話します。

まず言っておきますと当然ですが道重さんはますますかわいいの権化でした。

今までの繊細な「かわいらしいかわいさ」にさらになる感情と身体性が加味され、「力強いかわいさ」へと深化していました。それによってかわいさの過剰化が起き、パフォーマーとしての特異性が際立ち始めていてぞくぞくしました。

内容も、極度にかわいい、かわいいの向こう側、かわいいというジャンル、その実現を自分の身体と存在を使ってやろうとしているという意志表明の塊のような作品でした。

人が意志を表明する姿はなぜあんなにも美しいのでしょう。
そんな道重さんの姿に私に限らず多くの人が何度も驚かされ勇気づけられてきました。それがまたこのようなパフォーマンスという形で見られるなんて。感涙でした。

ダンスも以前よりもより一層動的な、躍動するかわいさに進化していて、それにより止めのかわいさも引き立たされ、かわいさが渋滞し、圧力を増し、過剰ともいえるレベルに達し始めていました。

かわいいを体現し更新するパフォーマー、人間道重さゆみの始まりを感じました。

意外だったのは歌での感情の深みが増していたことです。「自分の歌」を「道重さゆみの人生」を歌っているという説得力がありました。これがまさに人生歌劇であると言いたくなる点でした。

その頂点に達したのが大森靖子さん作詞作曲の曲です。

大森さんの曲を歌い踊る道重さんは、道重さんの新しい表現の領域への目覚めの象徴と感じました。大森さんならではの、メタ視点と感情と"不完全さという完璧さ"を備えた曲の良さをそのままに、大森さんが道重さんに可能な限り寄り添い創った道重さゆみ像を、まさに道重さゆみ本人が演っていることの、表現としての破壊力と真っ当さ。

あの曲がフィクションとノンフィクションをひっくり返しパフォーマンスがライブ(生)に成り変わる、はっきりとした交差点でした。
あれを聴いた時、いつでも芸術はフィクションとノンフィクションの交差点に立ち現れるのだと、心底思いました。大げさと言われるかもしれませんが。それは今までつんく♂さんがやってきたことでもあります。

あの曲を聴けばわかるとおり「SAYUMINGLANDOLL~再生~」は人生歌劇であり、だからそれは新感覚なのです。新感覚は、技術だけの話ではありません。昔からあるけれど個人が変わる度更新されるのが人生なので、人生歌劇はいつだって新感覚なのです。

道重さんの卒業公演「GIVE ME MORE LOVE」では偶発的な事も含め見せてくださった人生歌劇を、再生公演でここまで意図的に見せてくださるなんて予想もしませんでした。

また少し俯瞰しますと、日本の、東京都の東京駅の丸の内のおしゃれなビルで、あんなかわいさの破綻と構築が毎晩のように繰り返され、はげ気味のみなさんや女の子や無数の変な人達=さゆヲタの方々が、秘密の倶楽部にひしめき合い、夢みたいな現実を見ているということを考えるだけでもため息がでますし、この出来事全体が、ハプニングで、事件だと感じます。

道重さゆみさん、再生していただき、こんな事件を起こしてくださり、本当に本当に本当にありがとうございます。
それに加担してくださったスタッフのみなさんも本当に本当にありがとうございます。

行ってない人はぜひ行ってください。

17/4/10(月)~17/4/16(日) <レイトショー公演>一般発売、e-plusで2017/03/29(水) 10:00からです。

http://eplus.jp/sys/T1U14P0010175P0108P002218565P006001P0030002?_ga=1.3899954.30435337.1478101554